計画的に家を出る算段をしていた高校時代

家族のこと

昨日は姉の進学時の驚きを書きましたが、姉より5歳年下の私は当時そんなことが行われていたとはつゆ知らず、のほほんと過ごしていました。

姉とは性格が違うので、私は高校卒業後のことは綿密に計画を立てていました。
父が威圧的だったので、高校卒業後は絶対に家を出るつもりで、3年生の夏くらいから色々な大学の入学金や授業料のことを調べていました。

国公立しか行けないのは分かっていたので、そこを中心に調べたところ、公立大学の中には、国立大学よりかなり入学金と授業料が安い所があることを突き止めました。
偏差値もここなら行けそうだという所を調べ、そこを目指して勉強をしていました。

反対されることも予想して、新聞奨学金と言う制度があることも知り、万一の時には新聞配達をしながら大学を卒業しようと考えていました。

先生との進路相談で、地元の国立大学を勧められたのですが、決めていた県外の公立大学を受験しますと宣言し、先生は1校だけじゃ不安だからともう一校公立大学を勧めて下さり、そこも受けることにしました。

あとは、親の承諾を得るだけです。
県外の大学を受けるからと母親に伝えると、絶対ダメだと言われました。誰も大学なんて行っていないから、就職すれば良いと。
私は勉強したいので、大学行くから。じゃあ、地元の国立にしなさい。嫌だ、こんな家にいたくない。

初めて母に怒られました。ダメでも自分で行くからと捨て台詞で自分の部屋に戻った私。
結局、母は折れて受験を許してくれました。

入学金と授業料は払ってもらい、後は奨学金とアルバイトで生活しました。貧乏だったけど本当に楽しかった大学時代です。

兄弟でも本当に性格が違っていて、そういうことの出来なかった姉は今にして思うと、可哀そうだったなと思います。
長女と次女でこんなに違うのだと驚きました。

そんなことがあったので、私の子ども達は行きたいところに行かせてあげようと決めていました。
子ども達は、実際好きな所で好きな勉強が出来て良かったなと思います。

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